たっぷりと取られた沈黙は、投げ出されたグラスが遮った。
「……分からないんだ」
空になったグラスが転がるテーブルの上に、鏡は上半身を預ける。そのまま顔を横に向けると、息を吐いて金剛の顔を見つめた。
「分から……ない?」
「ああ……」
想定外の言葉に鸚鵡返しをする金剛に微笑み、鏡は視線をテーブルの木目に落とす。
「ワタシには、キミのことが分からない。だから、もっと知りたいのさ。キミが今何を考えているのか、ワタシの事をどう思っているのか……」
それが単に「教えてほしい」と言っている訳ではない事ぐらいは分かるが、だからと言ってどうすべきかは一向に見えて来ない。
あれだけ優秀でプライドの高い男が、目の前で明らかに迷っていた。
「だが、こうして知りたいと思っている感情をもっとディープに見てみると……誰かにぶつけるには、醜過ぎる」
金剛は腕を組み、酔った男を正面に見据える。
「……俺はいつだって受けて立つぜ、係長」
迷った上司に、せめて気の利いた言葉を。そう思ったものの酒に酔った頭では見付からず、己にも迷いがある事を思い知った。
ならば、腹を括って全て受け止めて、それから考えるしかない。
「勝負の話じゃないさ、サムライボーイ」
鏡は呆れた風の視線だけ金剛に寄越す。しかし口元だけは、何故か愉快そうに歪められていた。
「ああ」
「分かった上で言ってるのかい?」
「……降って来るモンの正体は、受け止めて見なきゃ分からねぇだろ」
「やっぱり分かってないじゃないか」
視線が逸らされる。
しかしあの栗色の瞳は、未だに金剛を映していた。
「お前さん自身にも分からないなら、俺にも分からねぇ。だが、お前さんが胸の内を明かすなら……頭捻って、考えるぐらいの事は出来るぜ」
俺も関係のある事らしいしな。と付け足して、金剛は自分の前にあるグラスを退かす。
どうせもう、飲みはしないだろう。
「……ワタシは」
白い指が転がったグラスを立てて、金剛が退かしたグラスの上に重ねる。
「ワタシは、ね。キミのことが知りたい」
「ああ。聞いた」
「全部知りたいんだ。キミ自身が知らないような、キミの事も」
でも、それは。彼はこの世の終わりを見て来たかのような表情で言う。
「……世間では恋と言うんだ。単なる知的好奇心だと片付けるには、重過ぎる」
笑っているようにも聞こえたが、その声は確かに震えていた。
「…………ただの八つ当たりだ。こんなの」
……もう大分顔中が赤い。酒瓶のラベルは金剛が見たことも無い物だったが、それでもパーセンテージがアルコール度数を表す事ぐらいは理解出来た。
ラベルの端に40%と書かれた酒瓶を一瞥し、金剛は席を立つ。
未だ酔ってはいるが、人を寝室へ運ぶには支障が無さそうだと判断した金剛は、徐に鏡の真横に立った。
「なに?」
「その恋って奴は、お前さんがいつも女にしてる物とは違うのか?」
「……同じかな」
同じ、なのか。金剛は思わず目を見開いた。
女性の顔を見れば、この男は二言目には大抵アイラビューと言う。
I Love You. テレビドラマや広告でも当たり前のように使われる異国の愛の言葉の意味は、今や誰でも知っている。勿論、英語とは殆ど縁が無い金剛でさえ。
けれども自分に言うべきではない筈の、その言葉の重みは?
「別に……私はゲイじゃない。でも、ある時キミから目が離せなくなった」
「そりゃ俺が部下だから、じゃなくてか?」
「匂いがするだけで振り返るようになったのに? 絶対に違うね」
鏡はどこか擽ったそうに首を横に振る。
「そう、最初は匂いだった。そこから態度とか、唇とか……」
言いながら彼は金剛を上から下まで眺めて行く。そこにはただ、好きな物を見る時のような、僅かな熱があるだけだった。
「キミのバカな……いや、愚直な所とか。個人的に、危機管理能力はもう少しあった方がいいと思うが」
ガタン、と大袈裟な音を立てて鏡が立ち上がる。
その赤い顔は相変わらず整っていて、綺麗だった。これほど美しい男とは、今後どれだけ己を磨こうとも出逢わないだろう。
「やはり、いい眼をしているね」
視界が段々と彼しか映さなくなる。
普段なら相手が近付いて来ているのだと気付くが、そんな事はどうでもいい。
どうでもよかった。
「キミに恋するつもりなんて無かったんだ」
「ああ」
白い手のひらが躊躇いがちに伸びて来て、頬に触れる。その指先は融けてしまいそうなほど熱く、金剛は思わず眼を閉じた。
「こうして触れる気も無かった」
「……だろうな」
頬に触れる手のひらに、己の手を重ねる。
不思議と嫌な気分はせず、寧ろこうあるべきだとも思えた。
自分も酔っていて、全ては酒の所為とするべきなのだろうが。それでも。
「責任を取れ、金剛」
そう囁く声は、とてもあまくて。
開いた瞼の隙間から見えた眼差しも、なかった事にするには惜しい。
どうせ受け止めると言った手前、拒む選択肢は無いのだから。
「慶志郎」
酔ったままの接吻は、揮発するアルコールのように消えた。
