そうして精神的に若干の余裕が出来た昨晩、若い方の鏡が混乱を避けるために、自分達の呼び名を決めてしまおうと言い出したのだ。
「幾ら同一人物でも、外から区別が付かなかったら大変だろう?」
「確かにね。外から見れば兄弟として通すのが無難だろう。私が兄で、キミが弟だ」
片方は仕事帰りのスーツ姿に、片方はパジャマに身を包み話し合う良く似た顔の二人の姿は、彼らの自認する通り兄弟か、或いは双子にしか見えない。
「そうだね、じゃあ……五年後の私。キミは私の事をどう呼んでくれるんだい?」
建前上は弟。それなら、普通に呼び捨てでいいだろう。
「私は“慶志郎”と呼ぶよ」
「なら、私はキミの事を“ケイ”と呼んでもいいかい?」
提案された呼び名の馴れ馴れしさに、鏡はつい微妙な表情を返してしまった。
「いいじゃないか。多少ラブリーな呼び名を使っていた方が、却って弟らしいだろう?」
「確かにそうかも知れないけどね、その……別にいいか」
五年前とは言え自分は自分なのだし、あのキラキラと輝く瞳で言われてしまっては鏡も何か言う気が失せてしまう。
結局、鏡は自身の若い頃──慶志郎に、ケイと呼ばれる事になったのだった。
「よろしく頼むよ、ケイ」
「……ああ、こちらこそ」
緊急事態だと言うのに、慶志郎はどこか楽しそうに今の状況を受け入れている。子供だなと思う反面、鏡にとってはその姿がほんの少し眩しかった。
「さて、私はこれからシャワーを浴びて来るよ。キミも今日は早めに寝るといい」
「分かった。おやすみ、ケイ」
二人は互いに手を振ってバスルームと寝室へ分かれていった。
鏡はシャワーを浴びて洗面所で髪をじっくり乾かした後、バスローブを纏ったまま寝室へと向かう。寝室の照明は既に消えていて、慶志郎は寝てしまったか、と鏡は足音を殺してゆっくりと部屋へ滑り込んだ。
慣れない環境に放り込まれ、自分と言えど疲れているだろう。
昨日は寝る所の騒ぎではなかったし今日はしっかり寝たいはずだと、鏡は彼を起こさないように薄暗い部屋の中でバスローブを脱いだ。
「ケイ」
ベッドの上から声がする。なるべく音を立てないように気を遣っていたつもりだが、起こしてしまっただろうか。
「慶志郎? 起こしてしまったかい?」
慶志郎はもぞもぞと寝返りを打ち、少し不安そうに鏡を見てから口を開いた。
「その……少し、こちらに来てくれないか?」
「……?」
ローブを脱いだ一糸纏わぬ姿のまま、鏡は訝しみつつもナイトテーブルのランプを点けてベッドに近付く。
近付いてきた鏡に、慶志郎は安心したように微笑んだ。
「ありがとう、実は──」
弧を描く瞼の奥の栗色が妖しく光り、言葉が終わる間も無くブランケットが宙を舞う。
「は、ッ!?」
手のひらを掴んできた指がやけに温かい。
咄嗟に振り払おうとして、囮だと気付く。あの我ながら厭らしい笑み……本命は膝裏を攫う左足だ!
モーションは見えているが、付いて行けない。鏡が明確に「嵌められた」と気付いた時には既に遅く、動作がワンテンポ遅れる。
ステップが遅れ、足を縺れさせたダンサーは転ぶだけだ。最悪舞台から墜ちてしまうが、今回の場合は逆に引き上げられるのだろうと察した。
悔しさと衝撃に備えるために歯を噛み締める。
そしてブランケットが着地した時、鏡はベッドの上へ縫い付けられていた。
「何をするんだっ!」
「まだ何もしていないよ、ケイ」
自慢気に嘲笑う自分の顔を、これほど憎たらしいと思う機会も無いだろう。力を込めてその笑顔を睨むが大した効果はなく、相手の笑みが更に深くなるだけだった。
「五年後の私がどう成長したのか、味見してみたくなってね」
「正気か!?」
「勿論だとも。キミの素肌を見るまでは考えもしなかったけれど」
正気か、それで本気なのか。そんな事は眼を見れば分かる。何せ相手は自分なのだから。
分かるからこそ信じたくなくて問い質したのだが、真剣な眼差しと共に返ってきた回答に顔を覆いたくなる。
これが酒でも入っていて尚且つフリーならどうなっても構わなかったが、生憎酒は入っていないしフリーでもない。
鏡は部下兼恋人のむさ苦しい顔を思い浮かべて……存外、ああいう愛情深いタイプが恐ろしい手合いになると聞いた事があるのを思い出す。嫉妬の炎で身を焦がすのも悪くはないが、果たしてそれだけで済むだろうか?
……想像するだけで背筋がゾクゾクする。
つまり、無事に五体満足で居たければ──余所見をしている暇はないという事だった。
「フン……そんなに味が見てみたいなら、一口持って行けばいい」
「そうかい? なら、遠慮なく」
少し煽ってやれば、彼はあっさり近寄って来る。その後頭部に右手を添え、噛み付くように口付けた。
「んっ……ん、ふ……」
舌を入れ、歯列をなぞって上顎を嬲る。堪らず絡んで来る相手の舌を軽く吸って絡めてやれば、互いの息が弾んだ。
相手を堕とすにはまだ足りない。軽い口付けに切り替え、角度を変えつつ更に深くへ。もう一度舌を入れて、今度は口内を塗り潰すように愛撫する。
「んんっ、あ、は……んッ!?」
突然慶志郎の身体が大きく跳ねた。その可愛らしい反応に、思わず口角が上がる。キミが好きな所ぐらい分かっているさ。
跳ねる身体を抱き寄せ、舌の動きをより一層激しくするとくちゅくちゅと淫らな水音が響く。
「ん~ッ! ん、んぅ……んふ、ん……あ……っ!」
腕の中で暴れる身体から段々と力が抜けていく。従順に絡まる舌は、しかし貪欲に快楽を得ようと追い縋り離れない。
そろそろか。鏡が慶志郎の身体を横に倒して唇を離すと、吐息の合間に短く銀の糸が伸びた。
「っあ、は……はーっ……」
慶志郎のすっかり赤くなった顔には余裕の欠片もなく、潤んだ瞳からは戸惑いと、もっと、と強請るような好色が透けて見える。
本当に、私という奴は。知らず知らずのうちに自分の呼吸も乱れているのに気付き、鏡は己を鎮めるために長く息を吐いた。
「…………当然だろう、私はお前なんだ。簡単には捕まらないさ」
忘れる事が出来ない痕を。そう願ってしまったのだと言っていた彼の気持ちが分かる気がする。一夜の過ちだと思わせたくはないし、思いたくもない。その身体に、心に、魂に、至る所に傷を付ければ憶えているのだろう。逃れられないように脚でも縛っておけばいいのだろうか。
……確か、あの時は本当に縛られていた気がする。あれはこういう事か。一人で納得して笑う鏡から、慶志郎は視線を逸らす。
彼は確かに自分のはずなのに、何か知らない物を持っている。あんなに恐ろしい表情をする私を、私は知らない。
キスだってそうだ。あんなに乱暴で強引な口付けを自分がするなんて! レディには絶対に出来ないよ、あんなの。怖がらせてしまう。
「……教えてくれ」
キミが、私が、五年の間に何を知ったのかを。あんなに気持ちイイ事を知った訳を。
目の前の彼は緩やかに微笑む。ともすれば許すような表情ではあったが、耳許で囁かれた言葉は真逆だった。
「お仕置きの時間だよ、慶志郎」
「あっ……う、ぁ………」
ラテックスとローションを纏った指が誰にも触れさせたことの無い穴の中を掻き混ぜ、恥ずかしさのあまり慶志郎は顔を覆う。その両手首には赤いロープが結ばれ、白い肌を彩ると同時に自由を奪っていた。
開いている脚は縛られていないが、間に座られているため閉じる事が出来ない。着ていたパジャマなんて、下着ごと脱がされてしまっている。
私は、彼の手から逃げるのを諦めてはいなかった。それでもあの乱暴で強引な気持ちいいキスの味を知ってしまったら、与えられるがままに享受してしまう。
逃れようとする度に唇が重なり、離れていく度に追い掛けて。
……そうしている内に、私は逃げられなくなってしまった。
「もう三本も入ってしまったね」
クスクスと笑いながら、鏡は慶志郎の中に埋めている指を引っ掻くように動かす。
「あぁっ……!? うぁ、や、やめ……っ!」
「……止めないよ。お仕置きだと言っただろう?」
腹側にある痼を刺激され身体が跳ねる。
声が我慢出来ないほどの強い刺激であるのは確かだが、それ以上に……彼に責められている異常な状況に興奮する。
目を逸らしても声が、耳を塞いでも姿が、その在り方が自分と同じで、されど同一ではない。その差異ですら愛おしく感じる。
「私を差し置いて考え事とは、随分余裕があるみたいだね」
顔を覆っていた両手を剥がされた。同時にまたあの口付けが降って来て、頭が真っ白に塗り潰される。
「ん、んぅ、は、あっ、あ、あ……!?」
無理矢理高みへ登らされるが、決定的な刺激が与えられる事はない。慶志郎の逸物からはとろとろと蜜が溢れ、赤く色付く亀頭も相まって淫らな甘味と化していた。
「んぁ、ひ……あ、まえっ、前、触って……!」
「どうして?」
いじわる。どうしてなんて、分かっているくせに。
「う……イきたい、イかせて、ケイ……」
頭がカッと熱くなる。気持ちいいのに一向に熱を出せず、ただただ苦しい。
彼の指が目尻を拭うまで、自分が泣いている事に気付けなかった。
「このままイくのは嫌?」
「きもち……いいのに、くるしくて」
ぐすぐす泣き始めた慶志郎を、鏡は宥めるように撫でてやる。
けれど中にある指の動きは止めないものだから、一向に泣き止ませる事は出来ない。
……もう十分に拡がっているし、彼も身に染みた頃だろう。鏡は中に埋めていた指を引き抜き、着けていた手袋を直ぐさまゴミ箱へ捨てる。不安そうに見上げる慶志郎と目が合った。
「な、に……?」
涙を拭う事も忘れて見上げてくる彼がとても可愛らしく見える。
悪しき様に言えば、格好の餌食だった。
何処も彼処も紅く染まる彼の乱れた吐息をもう一度奪い、更に追い詰めてしまうのも、或いはこのまま放置して一人で足掻く姿を眺めるのも悪くはない。
さあ、どうしてしまおうか。
そう笑う鏡の顔には、奇しくも彼の恋人と同じ笑みが浮かんでいた。人を喰ってしまうような、恐ろしい眼で過去の自分を見下ろす。
「っ……!」
獲物が息を呑む。食べてしまいたい。
……食べる。食べる? なるほど。なら、食べてしまおうか。
「ねぇ慶志郎、キミがもっと気持ち良くなれる方法を私は知っているんだが……」
何の事か慶志郎には分からないようで、首を少し動かして鏡に話の続きを促した。
「でもその方法は、私の指では出来なくてね。どうしてもキミに挿れないといけない」
「いれる……」
「そう。気持ちいいのは保証するよ」
何せ、未来のキミが忘れられないほどだからね。
赤いままの柔らかい耳に、とびきり甘く吹き込んでやる。
もう理性は限界で、ただほんの少し迷っているだけだろう。その証拠に、彼の物欲しそうな表情の奥には本当にいいのかという躊躇いが透けて見えた。
もう一押し。そう確信した鏡は、かつて自分が聞いた言葉をなぞる事にした。慶志郎の手首を封じていたロープを解き、片手を取って自分の逸物に触れさせる。
その熱さに、彼の目が細まった。自分と同じだ。
『なあ、試してみたくないか?』
「トライしてみないかい、慶志郎?」
熱くて、温かくて、灼かれそうなほど。愛ゆえに欲が先走ってしまうのだと、あの時の瞳は語り掛けてきた。
もう遊びではないのだと伝わっていると良いが。
そんな鏡の想いは、慶志郎が従順に頷いた事で理性ごと引き千切られた。
慶志郎は甘えた顔で、自分の手が触れている鏡の逸物を緩やかに扱き始める。あれだけイきたいと強請っていたのに、今は自身の逸物まで手は伸びていない。
「ケイ」
欲しいよ、と。声帯を震わせず、唇だけで伝えられる言葉はただただ甘美に響いた。
鏡はナイトテーブルの引き出しの中からスキンの個包装を取り出し、歯を使い片手だけでフィルムを破く。
その中身を被せる工程すら重要だとは解っていてももどかしい。他人よりは慣れている自信はあるが、急く心に対しては何の慰めにもならなかった。
「慶志郎」
努めて普通に発音したはずだが、喉から引き摺り出した声は驚くほど低く聞こえた。彼の瞳が揺れる。
物欲しそうにひくつく秘所に、鏡は逸物の先端を当てがった。
「少しだけ息んだ方がいい」
必要最低限のアドバイスだけ添えて、ゆっくり腰を押し進める。
「ンッ……ッ!」
慶志郎はその衝撃と強烈な違和感に身悶え、艶やかな金糸をベッドの上に散らす。しかし本人の苦し気なリアクションとは裏腹に、鏡の逸物はズブズブと飲み込まれていた。
熱くねっとりとした襞が纏わり付き、不規則に締まるそこは鏡を離したくないと訴えているようで。背中に腕が回り、蕩ける眼差しで見つめられてしまえば、抑えを効かせる必要も無かった。
「あっ、あ、ケイ……ケイっ!」
「まだ挿れている最中だよ、慶志郎」
初めてだというのに彼の声には既に苦痛の色はなく、鏡は思わず嗤ってしまう。慶志郎の乱れ始めた前髪を整えるように撫で付けると、彼は感じ入るかのように瞳を閉じた。
「判るかい、ここも気持ちいいけど──」
言いながら先端を腹側にある痼に擦り付ける。
「ひ、あ、あぁあああっ!?」
「私が言ったのはこの奥……キミはどこでエクスタシーを感じたい?」
強すぎる快楽に悲鳴に近い嬌声を上げ目を見開く慶志郎の反る背中に手を添えて、鏡は差し出された白い首に口付けた。
痕に残る赤い印がやけに鮮烈に映る。自分にこんな痕を残すなんておかしいじゃないかと、自分の何処かが訴える。
翻弄される彼は可愛いじゃないかと思えば非難する声は止んだ。そう、可愛いじゃないか。私は。
ナルシズムとして片付けるには、この感情はあまりにも歪んでいる。それでも。
「あっ、う……」
乱れた呼吸を上手く戻せずもがく慶志郎を抱きしめ、鏡はもう一度問い掛ける。
「……どうしたい? 私はどちらでも構わないよ」
「…………ほ、う、あっ、ああっ!」
か細い声で何事か囁く彼に、聞こえないと腰を揺らせば喘ぎ声しか返って来ない。仕方なく腰の動きを止めると、彼は瞼を閉じ私をしっかり抱き締めて呼吸を整えた。
「り……りょう、ほう…………どちらも、欲しい……よ……」
息も絶え絶えに彼が瞼を開くが、そこには更なる快楽への欲求と、飢えた私しか映していない。
「わたしが、ほしい……ケイ、もっと……っ!」
瞳の中の私が笑う。可愛い彼の、私の望みを叶えてあげよう。
「とんだバッドボーイじゃないか、慶志郎」
腰をギリギリまで引いて、言葉と共に叩き付ける。声にならない悲鳴を上げ空気を震わせる彼にキスをすれば、締め付けが強くなって気持ちいい。
「い……っあああぁあっ! うあっ、あ、ひぃ、っ!」
奥をノックする度に慶志郎の身体が跳ねる。何処でも感じられる才能があるんじゃないかと冗談混じりに言われた事はあったが、まさか五年前からそうだったとは。
額から流れる汗を舐め取って、鏡は更にペースを早める。
「イッ……あ、グウッ、は、いーっ……! あ、うぁ……!」
過ぎた快感に、慶志郎は思わず掴んでいる背中に爪を立て始めた。それは白い肌に加減無しに突き刺さり、指先が血に染まる。
「ハ、随分良さそうじゃないか……ヴァージンとは思えないね」
焼けるように痛む背中を無視して、鏡は慶志郎を抱き上げてベッドの上に座った。スプリングが重さに軋み、焼けるような痛みは更に増す。
重力に従って落ちる腰が、震えながら鏡の股関節の上へ着く。
「っひ、あ、あ……ッ、う……くっ」
髪を振り乱しながら自らを快楽に沈めていく様は一等淫らで、唇を噛み締めて快楽を逃がそうとする彼は美しく見えた。
「ほら……支えているから、キミもイったらいい」
そう言って鏡は慶志郎の背中を腕で囲って、それ以上離れないようにする。
「ひ、っ!? ああぁぁっ……やぁ、イッ……ひぃっ!」
囲いを背もたれにした事で中で当たる角度が変わり、慶志郎は背中を反らせて一際高く鳴く。二人の距離がほんの少し空いた事により、鏡は慶志郎の可愛そうな程に真っ赤に色付いた逸物を目にする事が出来た。
慶志郎は揺さぶられながらも、鏡の背中に回した両手を自分の前に戻す。指先が赤く染まっている事に気付くが、それが血液である事には思い至らないまま、両手でグチュグチュと音を立てて先走り塗れの逸物を扱き始めた。
「あっ、ああ、ッ、あ、ぁ、あ、あ……!」
「気持ちいいかい、慶志郎?」
「う、んっ、ぅあ……ぬるぬるして、あたたかくて……ぇっ、きもちいい……きもちいよぉ、ケイっ」
自分らしい矜持は何処へやら。今の彼は快楽に蕩けた顔のまま、見た目よりもずっと幼く拙い言葉で話す。
口の端から涎を垂らし、卑猥な質問にもお利口に答える彼が何よりも背徳的で、昂るままに腰を叩き付けた。
「ケイ、ケイっ……! ぁ、たま、が……ふわふわ、ふわふわしてっ、お、おかし、く……!」
「……ハハハ、まるで幼気な子を抱いてるみたいだね」
五年よりもっと前へ遡ってしまったか。鏡は慶志郎の顔を覗き込む。
「キミも私なのに、なんてはしたない……色好みのレディだって、キミみたいにはならないさ」
奥まで突く動きから捏ねるような腰使いに変えてやれば、慶志郎はもうまともに言葉を話すこともなかった。
ああ、なんて無様で、淫乱で──
「けれど、私だけは……淫らではしたないキミを、愛しているよ」
愛おしいのだろうか。
二人はどちらからともなく口付け、鏡は慶志郎の震える身体を抱きしめて欲望を放った。
