変わるもの、変わらないもの

「懐かしいな、ガスガス君人形だ」
 押入れの中から、埃を被った灰色のぬいぐるみを発掘したヘンリックはそれを感慨深く眺めた。
 ガスガス君人形とは、ヘンリックがまだ幼い頃に片時も離さずにいた、お気に入りのぬいぐるみだ。
 ガスガス君、という名前の由来は良くわからないが……夢の中では、彼がこっそり教えてくれた名前で呼んでいたのを覚えている。
「こうして会うのは何年ぶりだろうな、ガスガス君」
 狼に似た頭は身体に対して大きく、少し間の抜けた笑顔を浮かべている。
 人間と同じように手と足が二本ずつあり、身体には綿が詰められていて、いい歳になったヘンリックが抱いてもしっかりとした抱き心地が返ってくる。
 ヘンリックはぬいぐるみの埃を丁寧に払うと、目元に巻かれた白い布を解いた。
 子供の頃は何故だか解く事の出来なかった包帯は、大人になった今では簡単に解けてしまう。
 解けた白い布の合間から、彼の瞳である青いボタンが見えた。
 布に巻かれ、埃を被ることの無かったボタンは美しく深い青色を保っている。
 ヘンリックは少しだけ辺りを見回した後、ボタンの縁にそっと口付け、包帯を元のように巻き直した。
「……よし。今日は久々に、一緒に寝ようじゃないか」
 ガスガス君人形を小脇に抱え、ヘンリックは掃除の後を片付け始めた。

 その夜。習慣になっていた寝酒を今日は止めて、ヘンリックはガスガス君と一緒にホットミルクを飲んでいた。
 幼い頃は眠る前のホットミルクと歯磨きが習慣で、ホットミルクは自分の分とガスガス君の分で二杯用意されていた。
 ホットミルクの入ったマグカップを二つ持ったヘンリックは、片方をガスガス君人形の前に置いた。
「こうしてみると……本当に懐かしいな。昔に戻った気分だ」
 隣に座り、ヘンリックはホットミルクを一口飲んでみた。あの頃と何も変わらない味が広がり、身体が温まる。
 子供の頃に飲んだ物はもっと温かった気がするが。隣の友人は、今の熱いホットミルクを気に入ってくれるだろうか?
 ……口を開けたまま舌を出している間抜けな表情を見ていると、舌を火傷したようにも見えなくはない。
「熱かったか」
 指先で頭を撫でてやる。綿が詰まっただけのぬいぐるみは何も喋らないが、心なしか口元が緩んでいるように見えた。
「ふふ……」
 心なしか胸が温かいもので満たされるのを感じながら、ヘンリックはホットミルクを楽しんだ。

 二杯分のホットミルクを飲み終わる頃には、ヘンリックの眠気は最高潮に達していた。
 半分寝ぼけながら歯を磨き、ベッドに横たわる。当然、ガスガス君人形もブランケットの中に入れてやる。
「おやすみ……」
 ヘンリックは眠気と最後の抵抗を繰り広げながら部屋の灯りを落とし、すっかり重くなっていた瞼を閉じた。

 

 ヘンリックが目を覚ますと、そこは寂れた墓場だった。
 粉々に砕けた墓石や、踏み躙られた草木が地に伏せる中、大きな白い塊が丸まったまま鎮座していた。
 赤い染みのあるその塊は……酷く、見覚えがある。しかし思い出せない。
 それでも、放って置く事は何故か出来ず。ヘンリックは塊に手を伸ばし、その白い毛に触れた。
 ……ふさふさだ。どこかで触れた覚えがある。
「何だろうか」
 ふと、後ろから土を踏みしめる音が聞こえてきた。
 ヘンリックが振り返ると、そこには黒い人影があった。真っ直ぐこちらに歩いては来るが、どれだけ近付いてもその詳細ははっきりとは見えない。
 やがて、人影はヘンリックの隣に立った。
「……」
 人影はジッと白い塊を見下ろす。
 口も開かず。いや、口があるかどうかも分からないが、ヘンリックと言葉を交わすつもりは無いらしい。
 やがて……人影は黒い何かを右手に取り出した。
「やめろ!」
 ヘンリックは反射的に身体を塊の盾にした。何故そうしたのかは分からない。
 人影は黒い何かをヘンリックに振り下ろした。
「ッ、グウッ……!」
 黒い何かがなぞった所から痛みが走る。しかし、自分の後ろにある塊に触れさせる訳には行かない。
 何故かは分からないが、この塊を……今度こそ守らなくてはならない。
 小さな自分では成し得なかった事を。
「やめろ、コイツに触るな!」
 名前が思い出せない。繰り返し振り下ろされ続ける黒い何かが、段々と鋭利な影を帯びる。
 切り裂かれるような痛みの中、白い塊が温かい事に気付く。
 これは――生きている!
 しかも、眠っている。ぐうぐうと、それこそ寝ぼけている。
 ヘンリックは力を振り絞り、白い塊を思いっきり――
「起きろガスコイン! お前、それでもオレの相棒か!?」
 殴った。頭らしき箇所を、固く握った拳を振り下ろす。
 視界が白く染まっていく。振り下ろされる黒い何かは消え、痛みは溶けるように無くなって行く。
 ……どこへ行くのだろうか。分かるのは、ここには居られない――否、居たくない。こんな陰気臭い所には。

 

 気が付くと、狭い部屋に居た。
 窓からは透き通った青空が見える。そんな中ヘンリックは布団の掛かった奇妙なテーブルに座っていて、足は布団の中に収まっていた。
「よお」
 向かい側に座る、黒い服を着た大男が親しげに話しかけてくる。
 忘れもしない。まだ幼かった頃、夢の中で遊んだり、数々の知らない場所を回った、相棒の……!
「ガスコイン!」
 身を乗り出し、抱きしめる。自分の身体は大きくなったが、やはり彼の身体も大きいままだ。
 大きな腕が背中に回る。ぽんぽん、と背中を叩く手が温かい。
「随分大きくなったな、ヘンリック」
 ガスコインの大きな胸に顔を埋め、ヘンリックは安堵の息を吐いた。
「良かった……もう二度と、会えない物かと思っていたんだ」
「そりゃこっちの台詞だ。夢も見なくなっちまって、俺の事を物置にしまい込んでよ。忘れられたのかと思ってたぜ」
「馬鹿言え、お前みたいな間抜けで、優しくて……かっこいいヤツを、忘れられるワケがない」
 滲む視界を瞼を閉じて誤魔化し、ぎゅうぎゅうに抱きしめる。
「そうか……ありがとよ」
 暫くそのまま抱き合ったままだったが、そのうち急に恥ずかしくなって、二人は離れた。
「で、これからどうする?」
「うーん。まずは……もう少し広い所が良いんだが。狭すぎないか?」
 あと、どうして炬燵なんだ? 疑問を述べるヘンリックを余所に、ガスコインは密かに微笑んだ。

 


 

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