シャーの修練場にたどり着いたヴァリス達は、闇の司法官の試練だと張り切るシャドウハートと共に奥へ進み、その道中で死霊術によって操られているスケルトン達と出会った。
会話をしているうちに目覚めたシャーの守護者達に対してスケルトン達と奇妙な共闘をし、無事に撃退は出来た。スケルトン達の出所は謎だが、戻っていった彼らの後を追えば主人にも辿り着けるだろう。
それから、あのラファエルというデヴィルに頼まれた仕事もこなさなければ。
考えながら今晩の野営地でヴァリスがすっかり手慣れたテント張りをしていると、急に右腕が熱を帯びた。
「ッ……!?」
ヴァリスが左手で熱を感じる箇所に触れると、僅かな痛みと共に手のひらが血に染まる。シャーの守護者達にボウガンで撃たれた時、避けたつもりだった矢が掠ってアーマーと肌を切り裂いていたのか。
戦っている間の高揚に紛れて気付いていなかった小さな傷だが、傷口が脈打つ度に少しずつ赤い液体が溢れ出ている。血だ。
ふと、ヴァリスは今晩もアスタリオンに血を飲ませる約束をしていた事を思い出す。
一応は恋人である彼の主食の味を、私はまだ知らない。
同じ食事を取るのは他人との仲を深めるために効果的な行為の一つだが、そんなことを抜きにしても、誰かと同じ物を食べるのが好きだ。
バルダーズ・ゲートのどこにあったのかも定かでない家を飛び出したあと、私は初めて父親以外と食事を共にした。
初めて雇う、世間に転がり出るようにして現れた演技の腕も定かでない新参者の役者だった私に、あの移動劇団は驚くほど良くしてくれた。自分の過去について聞かれた時に何と答えたのかだけ思い出せないが、それ以外の会話や料理の味は愉しく、美味だった。
その時と同じ体験を彼と一緒に経験したい。
ただ困った事に、私とアスタリオンは同じ物を口にすることは出来なかった。
コアロンが物質界に残した美しい恩寵は、あまりにも過酷かつ残酷な運命を与えられていた……彼はヴァンパイア・スポーンだ。
私が肉を焼くのが得意だったら血の滴るステーキでも振る舞えたのかもしれないが、残念ながら得意なのは鍋に具材を入れて煮込むような料理だった。よりにもよって。
「ヴァリス?」
いつの間にか心配そうなアスタリオンが眼の前に現れていて、私の顔を覗き込んでいた。次いで血を流している私の右腕を見ると顔を顰める。
「俺の前で血を流したままにするな、気が散る」
確かに。彼からしてみれば鮮血の匂いとは、よく煮込まれたシチューより魅力的だろう。
「舐めるか?」
「ダーリン、何に付けられたかわからない傷口から飲むのは俺もお前も危ないからな。皆が寝静まるまで取っておく」
思い付きで誘ってみるが、至極真っ当なことを言われて断られた。
「それで、その傷だが……シャドウハートを呼んだ方がいいか?」
「いや、自分でやる」
アスタリオンの前ではあったがヴァリスはバイオリンを持つのも億劫に感じ、片手で作った指笛で<癒しの言葉>を吹く。右腕の小さな傷はすぐに塞がり、傷があった痕さえ分からなくなった。
「指笛でもいいのか」
アスタリオンは驚いたように呟く。
「ああ、実はな。ただ、私はこれでも楽器奏者だったんだ。どうせなら得意な芸を見せたいから普段は使わない。」
「お前らしい拘りだな」
私にとっては魔法ですら芸の一つだ。焦点具を使うにしても、一番見映えがよく出来る方法を心得ている物を使いたかった。それでもてっきり指笛の方が便利でいい、なんて言い出すかと思っていたら面と向かって受け入れられてしまい少し面映ゆい。
「だろう? さあ、もう大丈夫だハニー、それとも我慢出来なくなったのか?」
誤魔化すつもりで言葉を続けたが、アスタリオンは……何だか、普段とは違った様子を見せた。
「……いや、大丈夫だ。ダーリン」
悲痛な面持ちでどこか苦しそうな、そんな声色で彼は言葉を紡ぐ。
「アスタリオン……? どうした、何かあったのか?」
しかしその悲痛さも一瞬だけで、すぐに元の軽い調子で喋り出した。
「いや、何でもない。それより、約束を忘れてくれるなよ。俺は待たされているんだからな」
ヒラヒラと手を振って、アスタリオンは自分のテントへ戻って行った。
何だったのかは分からないが、これ以上彼を待たせるわけにも行かない。ヴァリスはテント張りに戻ろうとして……
「あっ」
左手にまだ血が付いたままだった事に気付いた。
……彼を下劣な肉欲で満たし、私と一晩過ごしてもいいと考えさせた魅力的な血の味とはなんだろうか。
私の美しい者を贔屓する悪癖も、そこから恋をするのもこれが初めてではなかったが、好いている胸の内を言い当てられたのは初めてだった。形だけにしろ、その想いが報われるのも。
けれど世の人々は普く観客なのだから、いつまでも芸人の舞台に縛り付けるような真似はしてはいけない。観客には観る物を選ぶ権利があり、私にだけ注がれる愛というものは存在しない。存在した所で、受け取る資格はない。
ただの、一介の芸人に過ぎないのだから。
だというのに私はアスタリオンをすっかり愛してしまって、彼の求めに応えた後の行為を心待ちにしている部分もあった。差し出すだけではなく、彼に与えられることが思っている以上に自分の心を満たしているのを感じている。これが、愛されるということだろうか。
いずれは笑顔で幕の向こう側へ見送るとしても、一度だけでいい、彼が心から幸せを謳歌する様を見たい。彼の、復讐以外の幸せを知りたい。その幸せを出来るなら叶えてやりたい。
幸せと言えば彼が語るに曰く、知性ある生き物の血は甘いらしい。
ヴァリスは自分の左手に付いた血を、舐めた。
直後、鉄錆の味がヴァリスの脳を支配する。あまり気分のいい味ではない。
「う……」
それどころか、心なしか吐き気さえ感じる。たったひと舐めに過ぎない量だというのに。
続けてもう一度舐めてみようとするが、生理的な嫌悪感が勝って視界に入れた途端に耐えられなくなり、ヴァリスは自分の左手から目を逸らした。
真似事は出来ても、味覚とエルフの食性はどうにもならないか。
ヴァリスは震えながら残りの血を適当な布で拭い、胃から徐々に迫り上がってくるものを無理矢理飲み込んだ。
