衣装箪笥を開けた時、見慣れない服があるなとは思っていた。
旅装のシャツに、旅の道中で気に入ったマスター・フィガロの青い礼服、たまに着せられる波の母のローブ、ずらずらと増えた舞台衣装達、そしてその隣に件のテイルコートはあった。
最初は、またアスタリオンがウォーターディープの腕利き達に作らせた舞台衣装なのかと思った。
闇に溶け込む黒色の生地には左肩から胸の辺りまで赤い糸で緻密なドラゴンの刺繍が施されていて、思わず苦笑いまで浮かべる余裕があった。
問題は服を取り出して襟裏にも刺繍が施されているのを見つけ、布地の黒色が“闇に溶け込む”という表現が何かの喩えではなく事実だと気付いた時だ。
両肩の部分を摘んで持つと指先からよく知る常闇の気配を感じて、無邪気に袖を通そうと思っていた気持ちが疑問へ変わる。
これを着たら、一体何が起こるんだ?
「で、俺を呼んだのか」
「そうだ。ゲイル、これに込められたウィーヴの意図が分かったりしないか?」
身に付けない程度で色々調べ回したが、私の魔法学の知識では限界があったので、大人しく専門家であるゲイルを呼ぶ事にした。
大学の特別講師として呼ばれた時に謝礼として渡されていたスクロールを唱え、出てきた幻影に本人を呼んでほしいと頼んで来てもらった。
またポータルに引っかかった(曰く、嫌がらせ程度の転移魔術に対する阻害がこの宮殿には張り巡らされているらしい)ゲイルの手を掴んで引きずり出す羽目にはなったが、ヴァンパイアの筋力で以前ほど苦労することはなかった。これで何か分かるといいが……
「作者は分かるか?」
「多分……いや、間違いなくアスタリオンだ」
応接室のテーブルに置いた衣装を遠巻きに眺めながら、ゲイルは目を瞬かせた。
「ほう! ヴァンパイア・アセンダントが作ったマジックアイテムか。興味深いな」
「本人が解説を置いていってくれればもっと良かったんだが、領地の視察に出て数日は戻って来ない。不用意に着て使用人や夜の子供達を傷付けるような危険物でも困る」
ゲイルの〈魔術師の手〉が衣装に触れ、ゆっくりと持ち上げる。黒衣から溢れる暗闇がこぼれ落ち、テーブルの上に落ちては霧散した。
どうやら触れただけで何かをしでかすような、そこまで分別のない品ではないらしい。
「お前の吟遊詩人としての見解は?」
「このドラゴンの刺繍にウィーヴが込められているのは分かった。愛想のない門番、厳格な執事、融通の効かない頑固者……そんな印象を受ける」
「門番か……ふむ」
魔術の手が、刺繍がよく見えるように衣装をテーブルに広げる。
ゲイルは暫しその刺繍を食い入るように見つめ、やがて合点が行ったのか深く頷くと講義を始めた。
「お前の読み通り、この刺繍されたドラゴンからウィーヴが縫い糸を通して衣装全体に行き渡る構造になっている」
「糸が切れると発動……いや、暴走する?」
「このアイテムは着用者を守るためだけに作られている。害意を持った何者かが触れただけでも発動するが、刺繍の糸が切れると周囲に腐敗を撒き散らすだろうな」
「腐敗!?」
私は思わずゲイルと衣装を見比べる。軽率に着なくて正解だったじゃないか!
「俺が見る限りでは、布にヴァンパイア・アセンダントの闇の力が込められている。この刺繍で制御されている間は触れた箇所にしか発動しないよう制限されているが……」
「制限がなくなると……?」
「少なくとも、この宮殿一つ分の範囲を腐敗させる」
推測でもなく断言したゲイルの顔は至って真剣で、冗談の類でないことはよく分かる。
「うわ……」
衣装の優美な見た目に対して随分な爆弾だ。やっぱり見せてよかった。
……大事に、そして慎重に着よう。
「これ以上は幾ら友のためとは言えミストラに咎められる。だが、普通に着て歩く分には問題はないだろう」
「いや、調べてくれただけ助かる。すまないな、ゲイル」
少なくとも意図と何が起こるか分かった以上、アンデッドが作ったマジックアイテム……つまり、腐敗したウィーヴの塊にこれ以上魔術の神の選ばれし者を近付けさせる訳には行かなかった。
「もし破壊したくなったらいつでも呼んでくれ」
笑顔で言うゲイルに、私は首を横に振る。
恐らく相応に危ない品なのだろうが、元から破壊までは考えていない。
使用人に宮殿の外までゲイルを送っていくように頼んだ後、応接室には未だに闇のオーラを溢れさせる一着のテイルコートが残った。
……別に魔術的な意味合いはないと彼には見せなかった、襟裏の刺繍を見る。
『この者、ドラゴンの宝につき触れる事能わず』
元々自分の下着にわざわざメッセージを縫い付けるような奴だった。別に驚きはしないが、一体どんな顔をしてこのフレーズを練ったのだか!
「触れるだけで殺せる服に縫い付けても誰も読まないぞ、アスタリオン」
コートを持って、袖に腕を通す。腐敗しているというウィーヴが、アスタリオンの闇の力が身体を包み込む。
暗く、深く、暖かい常闇が、何にも脅かされることはないと私に語りかけてきて、どこからか優しい眼差しも感じた。
まるで彼の側に居るかのような感覚に、私は目を閉じる。
……無言でマジックアイテムを人の衣装箪笥に増やすなと、帰って来たら説教をしなければならないと考えながら。
