あさごはん

 カサ、と新聞のページを捲る音。
 挽きたてのコーヒーと、焼きたてのトーストの香り。
 窓から差す陽の光を背に、新聞を読み耽る影。
「剛天さん、バターとジャムどっちがいいッスか?」
 赤い鉢巻を締めた茶髪の青年が、食卓で黒縁の丸い眼鏡をかけて新聞を読み耽る壮年の男に訊ねると、男は新聞に落としていた視線を引き上げた。
「ジャムは?」
「いちごジャムッス」
「……バターで頼む」
 剛天はそう答えてまた視線を落とすが、その先に新聞はなく。
 もう一度視線を上げると、新聞は目の前の青年の手の中に収まり畳まれている最中だった。
「すぐ用意するんで、新聞読むのはまた後でお願いします」
「順……」
 何かを言いかける剛天に青年が首を横に振る。
「飯冷めちゃうんでダメッス」
「ダメか」
「はい」
 そうか、ダメか。
 順と呼ばれた青年は畳んだ新聞を剛天に返したが、剛天はそれを開かずに食卓の空いた場所に置いた。
 かけていた読書用の眼鏡も外して新聞の側に置き、食卓の上を眺める。
 向かい合うように置かれた白い大皿二枚に、それぞれにちぎったレタスとよく焼かれたソーセージが四本、その隣に少し焦げ目の付いた炒り卵と、それからトーストが二枚ずつ。
 大皿の側には箸とバターナイフの他に、それぞれ剛天の側はブラックコーヒー、順の側にはカフェオレがたっぷりと注がれているマグカップが置かれている。
「はい、剛天さん」
「ん」
 剛天が差し出されたポーションバターを受け取って大皿の上に置くと、順も自分の席につきジャムの瓶を大皿の側へ置いた。
「いただきます」
「いただきます!」
 二人揃って手を合わせ、まずはこんがりと焼けたトーストへ手を伸ばす。
 どうせ食べるのだから先にバターやらジャムやらを塗っておこうという算段なのだが、今日は何故か互いに同じ事をしようとする相手と目が合った。
「ヘヘッ……なんか、同じことしてるッスね」
「そうだな」
「剛天さんは先に二枚とも塗っとく派なんッスか?」
「バターの時はな。溶けた方が美味い」
「あー、なるほどッス」
 ポーションバターのカップを開けナイフでバターを掬う剛天に、順は納得したように頷く。
 そもそも朝食は白米派だった剛天がトーストにバターを塗るという事をし始めたのは、順という可愛らしい歳下の恋人と朝食を摂るようになってからで、それはつい最近の出来事でもあるのだが。
 それまではこんがりと焼けた6枚切りの食パンにバターを塗る、たったそれだけの事さえ、剛天にとっては殆ど未知の行為だった。
「ん! 剛天さん、今日のソーセージはよく焼けてて旨いッスよ!」
 ソーセージを一口食べた順が、嬉しそうに言う。
「そうか」
 剛天は返事を返してバターを塗ったパンに齧り付き、音を立てながら咀嚼する。
 最初はこの風味に慣れずついつい眉間に皺を寄せてしまい『怖い顔をしている』と言われた事もあったが、今となってはこの香ばしい匂いが口の中に拡がると、自然と口元が綻んでしまう。
「剛天さんと食べる朝メシって、なんでこんなウマいッスかねぇ」
 楽しそうに言い始めた順に、剛天も頷く。
「……何故だろうな」
 ありふれている、何の変哲もない食パンと、所々に黒っぽい焦げ目が付いたソーセージと、麺つゆをほんの少し混ぜて焼かれた炒り卵に、手で千切られたレタス。
 例え一人でこの大皿に盛られた物と同じ物を食べた所で、恐らく意味はない。
 パンの二口目を味わいながら、剛天は自分の胸が温かくなるのを感じた。
「ところで剛天さん」
 コーヒーを飲もうとマグカップに手を掛けた所で、順が剛天を呼ぶ。
「ん?」
「いや、言おうかどうか迷ったんですけど……」
 言おうかどうか迷う?
 剛天は片眉を上げる。日頃から言いたい事は澱みなく伝えてくる彼が?
「言ってみろ」
「いやあその、飯食ってる所ガン見されてると正直……落ち着かないんで、やめて頂けないかなー、なんて……」
 言いながら横を向いた彼の頬は、瓶詰めされた苺のジャムよりも赤く。
「すまん、つい」
 口では謝ってみせるが、剛天にはその横顔が何よりも美味そうに見えた。